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■2011年3月11日の津波について 

 

 2011年3月11日に発生した東日本大震災は田の浦にも大きな被害をもたらしました。当時の様子について滋賀県立大学の山形蓮さんが聞き書きしていただいた内容を少し紹介します。
 聞き書き内容については冊子に編集・製本して応援ショップにて「義援金つき商品」として販売させていただいております。ご支援よろしくお願いします。

 

  • 三月十一日のこと
  • 船さえあれば、漁業に必要なトラック
  • 田の浦の災害の歴史
  • 昭和八年の津波の記憶
  • 津波が来たら
  • 避難所に頼らない
  • 家族愛
  • 流された景色、仮設住宅での暮らし
  • 大漁
  • おすそわけ
  • 船と酒の縁、いつまでも現役
  • 水泳の最高のおやつ、立派な海岸
  • 松夫さんと定代さん、スルメとイカ
  • 建綱漁
  • ワカメ養殖のパイオニア
  • 偶然から始まったホタテ養殖
  • ホタテの養殖

 

・三月十一日のこと

chiba_yosiyuki

津波はこっから(家の近くの漁業倉庫から)見たの。
地震が来た時は家に居たの。家に居て、ワカメの芯取りしてたのね、人を使ってっから。
これは大きな地震だから、ダメだからって。
揺れたな。長いのね、揺れてる時間が。それから海さ行って。リフトさ海にあったから。
地震が来て津波が来るまで時間が三〇分あったのね。
もう水が引き始まったから、これより居ては危ないと思ったから、そしてるうちに、球が丘さ向いて流され始まったから、逃げたの。
津波来たから「早く逃げろー逃げろー」って叫んだのね。
自分でこれ以上居て自分が危ねえなと思ったから、車さ乗ってここまで来て、もう家が流れはじまった。
松島ってあるんだけど、島が見えなくなるぐらい来たったのね。
そしておれがここさ来た時はすでにもう家が流れ始まったから。先に来た人たちが「家が流される」って。二二、三秒なのね。

揺れてから、ここ(浜)さ来て。三〇分ぐらい時間あったんだもん。(避難するための作業を)海を見ながらやった。海の水の引き具合で大体分かっから。ずーっと引けていったから。底が見えったの。我々、海の水の引き方で大きな津波が来るって分かる。数センチの津波ってのは本当によくよく計ってみれば分かるっども、分がんねえから。一メートルぐらいの津波であれば、ここで作業してあれば一メートルでも…。
(今まで三〜四メートル以上の津波の経験は)ない。昭和八年の時は生まれてないしね。(昭和三五年の)チリ津波の時は水がこの状態で(引かずに)そのまま来たんだからね。あの時は船乗ってたから、あの時は北海道沖にいた。田の浦はあの時被害は無かった。志津川とか大船渡があったんだね。
(田の浦の漁港の水深は)干潮で二メートル。底は砂利と泥で。(海の底が見えるような潮の引き方は)初めて。そんなの何回もあったら大変だよ。
(揺れてから)船をちょこっと沖につないで、ちゃんと自分がつなぐとこ沖に作ってあるから、時化になれば必ずそこさ繋ぐところ。水際から二〇メートルぐらい沖かなあ。その時はまだ水も引けねかったから、水引き始まったら船なんか動けねえから、その時は水も何も引かなかったからおっかなくなかった。
(船をつないで戻ってくる時は)手船ってちっちゃい船で各船まわって、仕事の終わった船から全部乗り合わせて。だから手際はいいんだよ。船そのもの係留するのに一〇分かかんねえよ。時化だってね、「船つなぐぞー」って皆声掛け合うと、全部船出してって繋いでくるわけだね。ほして片っ端からちっちゃい船が行って人乗せてくるわけだ。北東の風が来ると時化てくる。
 (異様な音は)ない。エンジン音なんかいっぱいでしょ。天気はいかったんだよ。津波が来てみぞれが降ったり。
だからあと水さ入って濡れた人たちだの、そんな人たちはうちさ来て着類ちょうだいって来るわけだ。何にも無いから着るものが無いから。だからおらも着る物何も無くなったんだ。
それから行方不明がいねえかなんだって声かけあったり何かして。会長さんの家で二〇人ぐらいかな、避難してきたの。
息子が船を繋いできて船から上がって、おれ脚が悪いから先に逃げたわけさ。先に逃げて球(養殖用の浮き球)流される様子見てたから丈夫で今生きてっけども、そいつが球流される時に逃げはじまったらダメ。何秒、何十秒か、一分遅れたら大変。
皆、逃げる準備して、潮引き始まった時は浜に人いなかった。後は消防団が「避難しろー」って叫んで。潮が引き始まった時は作業終わって、後皆避難の準備。
船まだ岸壁付けてた人とかなんかは、遠くから来たんだけっども、潮が引き始まったから後身体逃げたんだ。船は捨てたのその場所に。そのまま上さ上がって、皆難を逃れたの。だからその船が無いわけ。付けておいたのは皆綱も切れて、結局皆流されたりして。流されるうちに皆壊されて。
一軒の家が先に流れてきたっけ、スカスカだよ。積み木崩すように簡単。家そのものがすぽっと流されて。どうにもなんねえ。
海はねえ、凪がいいときはいいの。少し荒れるなあと思ったらよっぽど気をつけないと。まあそれでも七二年生きたから。ずるく生きるっつうかな、やっぱり自然を相手にして生きるいうことに関しては、漁師はうんと強いんだよね。

二〇一一年八月九日
千葉吉之さん(昭和十四年生まれ 七十二歳)

 

・船さえあれば、漁業に必要なトラック

船さえあればね、田の浦地区はやる気満々な人たちだけだからね。
何すべだってぱっと自分で進んで行って、そいつが私たちの部落の若い衆の気構えっつうのかな、それが一番いいとこ。

トラックあると、海の復興にはうんと役立つの。はやくいうと、道具積むの、資材を積むの。トラックでねくて運べねえものうんとあるわけだ。誰も乗用車さ、浮き球だなんか積まないし、ロープも積まないから。そっちこっちさ話ししてるんだけど、なかなかねえ。
物が穫れてる時であれば簡単に買うのね。お金がすぐ入っから。でも、あとこれ5年も何も穫れねぐなったら、借金しても返済に困るわけだね。
本当に車買いてえのだけど、買えねえの。
明日「網やっていい」ってったって、トラックねくでは積まれねえ。場所まで持ってかれねえ。
魚穫ったって運んでも行かれねえ。だから一番、我々は車が一番欲しいの。

二〇一一年八月九日
千葉吉之さん(昭和十四年生まれ 七十二歳)